教区ロゴ ifm付透過.png


世間(2016年2月)

世間


ここ最近、「世間をお騒がせして申し訳ございませんでした…」と深々と頭をさげる姿が、メディアを通じて何度も届けられています。
「SMAP解散!」「エ~ッ!なんでぇ~」との声が全国から聞こえた…とのこと(?)。国会で首相も話題に出すくらいですから、あながち大げさな話でもないかもしれません。

ところが、この「世間」というのがなかなかわかりにくい代物です。スマップが解散しようが存続しようが、私個人には何の影響もありません。ましてや、芸能人や国会議員の恋愛?沙汰で謝罪されても…。
あきらかに犯罪だという事柄でも、メディアを通じて謝罪会見で済まそうとする場合もあるわけですが、いったい誰に何を謝罪しているのか…。

そもそも仏教語である「世間」の語ですが(聖徳太子の「唯仏是真、世間虚仮」の語が有名ですが…)、現代日本においては、社会でもなく個人でもない独特の代物のようであります。
故・阿部謹也氏が遺した「『世間』とは何か」(講談社現代新書/1996年)に次のような言葉があります。

「世間」の構造に関連して注目すべきことがある。政治家や財界人などが何らかの嫌疑をかけられたとき、しばしば「自分は無実だが、世間を騒がせたことについては謝罪したい」と語ることがある。この言葉を英語やドイツ語などに訳すことは不可能である。西欧人なら、自分が無実であるならば人々が自分の無実を納得するまで闘うということになるであろう。ところが日本人の場合、世間を騒がせたことについて謝罪することになる。(略)
日本人は自分の名誉より世間の名誉の方を大事にしているのである。(略)私たちは皆何らかの世間の中に生きている。その掟を守って生きているのだが、何らかのはずみで世間から後ろ指を指されたり、世間に顔向けできなくなることを皆恐れている。私達自身は気がついていないかもしれないが、皆世間に恐れを抱きながら生きているのである。

引用部分だけでは、「世間」という問題は捉えきれませんが、この本の中には「親鸞の『世間』を見る眼」という一段もあり、だいぶ古い本ですが、是非お読みいただいたいと思う一冊でしたので紹介させていただきました。

さて、しかしながらいつも感じることですが、この類の謝罪会見をテレビで見ている私自身、知らぬ間にメディアと同じ目線…、いわゆる「世間的な正義」に立ってしまっていることにふと気が付かされます。気づかないままに正義に立っている世間こそが、今の日本社会では、いちばん危ういもののように思われるこの頃でもあります。

さよならの向こう側 Part2(2016年1月)

さよならの向こう側 Part2


♪何億光年輝く星にも、寿命があると教えてくれたのはあなたでした~
 季節ごとに咲く一輪の花に、無限のいのち知らせてくれたのもあなたでした~♪

以前に山口百恵さんのラストソング「さようならの向こう側(作詞/阿木燿子)」の一節にふれましたが、今回は、そのPart2です。

前にご紹介した理論物理学者の佐治晴夫さんが『14歳のための時間論』という著書の中で、次のように言われています。

さて、実はいま、あなたが見ている、その星の光は「過去」のものです。つまり、かりにあなたが光の速さで走っても、100年もかかるところにある星からやってくる光を、「いま」見ているとしましょう。100光年ですね。

(「光年」とは、光が宇宙空間を1年間に通過する距離のことで、「1光年」は、約9兆4600億kmになります)

ところが、その「いま」見ているのは、100年前に、その星を旅立った光であり、あなたが見ているものは、「過去」の星の姿なのです。

(中略)

さて、私たちが夜空を見上げるとき、そこにはたくさんの星が見えます。赤い星、青い星、明るい星、暗い星…、その姿はさまざまです。しかも、遠い星、近い星も、同時に見ています。そして、遠い星ほど、より昔に、その星を旅立った光を、私たちは見ていることになります。

ですから、いま、この瞬間に、たくさんの星を同時に見ているということは、遠い過去から近い過去までの時間の「ひろがり」を、いまという瞬間に見ているということになります。

その一方で私たちは、遠いところにある星と、近いところにある星を、“いまという瞬間”に見ています。ですから、遠いところから近いところまでの、宇宙という空間の「ひろがり」を、見ていることにもなります。

そこで、ひとつの結論です。
星を見上げるということは、広大無辺な宇宙の「時間」と「空間」を、“いまという瞬間”にまとめて体験している、ということにほかならないのです。


少し長い引用になってしまい、著作権の問題も気になるところですが、百恵ちゃんの歌に、あらためて感動しつつ、いろいろなことを教えてもらったように思います。

星に寿命があるように、私たち人間にも寿命があります。寿命というよりも、人間は、どんな人も平等に「死」を迎えるという、身の事実を生きています。
星が寿命を迎えても何年、何十年…、何億年経って、やっと私たちにその光を届けているように、人間もいのち終えてなお、縁あった人のところに、届けられ続けているもの(願い)があるのでないか…。

そして、それに気付くとき、広大無辺ないのちのひろがりに、いま、私たちは生かされているということにも気付いていくのかもしれません。

東日本大震災から5年経つ今だからこそ、亡き方々と向かい合うことを心に刻みたいと思います。

わからないことにかかわれなくなってきた(2015年12月

わからないことにかかわれなくなってきた


 今年6月…、仙台教区主催の原発問題研修会をせんだいメディアテークで開催したときのことでした。開会までに時間があったので、1階の書籍売り場を眺めていると、ふと「わからないことにかかわれなくなってきた」…、そんなタイトルが目に飛び込んできました。現在、メディアテーク館長をされている鷲田清一さんが編集した本でした。
 その序文…。

「わからないことにかかわれなくなってきた」
それはまずい、と思うのです。この一文には、たとえば…、
①ある事柄について、すでに知っていることとして、それ以上考えない状態。
②ある事柄について、一定以上理解せずには、動けない状態。
③ある事柄について、自分とは関係ないこととし、かかわりを持とうとしない状態。
などが含まれていて、そして、どの状態もとても固く、まずいことのように感じるのです。


 鷲田さんは、私たちが生きる世界は、そもそも「わからない」ことに満ちていて、その「わからなさ」に揺さぶられ喘ぐ…そして、その「わからなさ」と向かい会い続けてきたのが歴史そのものだったのではないかと指摘されています。
 しかし現在、

 目前のあれこれをすでに「わかっている」こと、つまり自明のことと理解し、示し、もはやコントロール可能な世界に生きているかのように感じつつあるのだとしたらそれは、とても不自然なことのように思えてなりません。(略)
 では、あらためて、いかに「わからなさ」や「自明である」ことを突き抜けて、自ら手探りするか。どのように世界を疑い、自らの手で目前の世界を解きほぐし、自身の側へと近づけていくのか。
 こうした、そのわからないままにかかわろうとするありようそのものが、わたしたちが自らの生を獲得するということなのだと、いま一度確かめてみたいのです。


 今回も長い引用になってしまいましたが、原発問題の研修直前に出会ったこの言葉は…、例えば、放射線○○μSv(マイクロシーベルト)とか、○○ベクレルとか、わからないことを一生懸命分かろうとしている私にとって、何か大切なことを教えてくれたように思われました。

 思い返せば震災直後、「想定外」という言葉がよく使われていましたが、私たちは、もはや「想定外」のことをも「想定」する矛盾のなかを生きているのかもしれません…日本という国の中で。

「感動」禁止!(2015年11月

「感動」禁止!


 ラグビーのワールドカップ以来、五郎丸フィーバーが続いていますが、すぐ後の世界体操男子の金メダル獲得もあってか、既にメディアは来年のオリンピックに向けての情宣工作へと舵を取り始めているようです。
 確かに今回の南アフリカ戦をふくめ、日本ラグビーチームの活躍は素晴らしものでした。新日鉄釜石V7期以来のラグビーファンとしては涙…涙のテレビ観戦でありました。

 しかしながら、この社会現象と言ってもよいほどの国内の盛り上がりに多少の違和感もおぼえ、同時に以前に読んだ本『「感動」禁止!―「涙」を消費する人々―』(八柏龍紀著)を思い出しておりました。

メディアは競って「感動」を、そして「涙」をテレビ画面いっぱいに映し出し、新聞紙面は“勝利の一瞬”で飾られる。アナウンサーは興奮を演出し、週刊誌は「感動秘話」を物語る。そして人びとは、その「感動」「涙」の渦の中で絶叫し、酔いしれる。「感動をありがとう!」「勇気をもらいました!」……。(略)
もはや人びとは、「商品=モノ」はおろか「感情」や「感動」までも消費する「消費者」としてしか期待されていないのかもしれない。そのなかで人びとは、自己の内面性の空虚さを埋めるべく、ますます乾いたように「感動」を追い求めているかのようだ。


 確かに、スポーツ界だけでなくドラマや映画、更には「芸能人の感動秘話…」「愛は地球を救う!」などなど、「感動」と「涙」の大セールが日本社会で展開されていることに気づかされます。
 そして、八柏氏が指摘するように、それが「自己の内面性の空虚さ」のうえに成立しているのだとしたら、それは、あらためてキチンと問い直さなければならない大問題であります。

 勿論この問題は、「宗教」「仏教」「寺院」がメディアのなかで商品化しつつあることにもつながりますし、「教化事業」の名のもとに「感動だけを演出していなか」という私自身への問いかけでもあります。

傘がない(2015年10月

傘がない


♪都会では自殺する若者が増えている
 今朝来た新聞の片隅に書いていた
 だけども問題は今日の雨 傘がない〜♪

♪行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
 君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ〜♪

♪つめたい雨が今日は心に浸みる
 君の事以外は考えられなくなる
 それはいい事だろ〜♪

 1972(昭和47)年に流行した井上陽水「傘がない」の歌詞の前半部分です。70年安保闘争という時代を背景に、陽水さん独特の視点で表現されたこの歌は、当時、私の周りで話題になったことを覚えています。歌の中の主人公は、若者の自殺や安保論争など、社会的に大きな問題が提起されているけれども、自分にとっていま一番問題なのは、今日の雨の中、愛する人のところにいくために傘がないこと…、というのが歌全体の内容になっているものです。そして、次のように歌詞は続きます。

♪テレビでは我が国の将来の問題を
 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
 だけども問題は今日の雨、傘がない〜♪

 この歌が世に出て40数年…、「安保関連法案」が国会で決議された今、あらためて「傘がない」を口ずさんでいる私がいました。
 全国に広がる法案反対の市民運動を目の当たりにし、私も何かしなければという思いが沸いてくるけれども、それでも何もしない…、行動しない自分自身に対して…、「(確かに安保関連法案の問題は大事)♪だけども~問題は~今日の会議…」と、目の前の仕事を言い訳にしておりました。

 それはいいことなの? 

 その問いが心に沁みてきます。

『これから』が『これまで』を決める(2015年9月-②

『これから』が『これまで』を決める


 かつて、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目を閉ざすこととなる」という、西ドイツのワイツゼッカー元大統領が語った敗戦40年記念演説の中のこの一説は、過去の過ちに真摯に向き合う国家リーダーの姿勢として高く評価され、特に日本の歴代リーダーの歴史認識と比較して取り上げられてきました。現在、問題となっている「安保関連法案」改正の議論の中でも耳にすることがありますが、個人的にも大切な言葉として胸に刻んできたものです。

 しかしながら、私は最近、全く別な角度から語る佐治晴夫さん(理論物理学者)の言葉が気になっています。

よく『過去・現在・未来』と言いますね。この時間の流れから考えると、『これまで』が『これから』を決めると思うかもしれません。でも、いま皆さんが思い浮かべている過去は、脳の中にメモリとして残っているものに過ぎず、実在しているものではありません。とすると、これからどのように生きるかによって、過去の価値は塗り替えられることになります。未来が過去を決める。『これから』が『これまで』を決めるのです。


 ある講演録から切り抜いた言葉で、この部分だけでは佐治さんの思いは伝わらないかもしれませんが、『これから』が『これまで』を決めるという視点は、現代に生きる私たちに大切な方向性を示しているように思うのです。

 もちろん、歴史をどう認識するかと点で大きな問題がありますが、久しぶりに佐治さんの本をじっくり読んでみたくなりました。

そのあと (2015年9月-①

そのあと


 東日本大震災、そして福島第一原発事故から4年5ヵ月が経過しました。復興への歩みは確実に進められている一方で、時間の経過とともに浮き彫りになってきた新たな課題もあり、先の見えない状況が続いております。
 「何もいらないから、早く元の生活に戻りたい」とは、被災地で最近良く耳にする言葉です。それは被災された方だけでなく、全く違う意味で全体にそういう雰囲気…、震災は終わったことにしたい感が漂っているようにも感じます。

 「そのあと」谷川俊太郎

  そのあとがある
  大切なひとを失ったあと
  もうあとはないと思ったあと
  すべてが終わったと知ったあとにも
  終わらないそのあとがある

  そのあとは一筋に
  霧の中へ消えている
  そのあとは限りなく
  青くひろがっている

  そのあとがある
  世界に そして
  ひとりひとりの心に


 谷川さんの詩「そのあと」が、私たちにとって大切なことを示唆してくれているように思います。震災は今も私に問いを投げかけ続けており、その課題に真向かい続けることが「大事」なのだと教えていただいたように思います。

さよならの向こう側 (2015年8月)

さよならの向こう側


 先日、ラジオから懐かしい歌声が聞こえてきました。

♪何億光年輝く星にも、寿命があると教えてくれたのはあなたでした~
 季節ごとに咲く一輪の花に、無限のいのち知らせてくれたのもあなたでした~♪

 山口百恵さんのラストソング「さようならの向こう側(作詞/阿木燿子)」の一節です。これまで何度も聴いてきた歌ですが、そのときには何故か歌詞が心にとどまりました。若い人には百恵ちゃんの存在すら通じないでしょうが、当時の大スターの引退と星(スター)の寿命をかけた詩…?などと、あれこれ考えたものでした。

 けれども、あらためて歌詞を見たときに、何億年も前に放たれた星の光が、いま、私に届いていて、しかも、その星にも寿命があって、既に寿命を迎えているかもしれない…ということ。そして、また、一輪の季節花の枯れと芽吹きを繰り返す様に無限のいのちを見出すところに、この歌の本当の願いがあることに気付かされます。

 無限のいのちが知られたとき、さようならの向こう側…、決して「さようなら」では終わらない世界があることにも気付いていくのかもしれません。

東日本大震災からまる4年 (2015年3月)

東日本大震災からまる4年


 東日本震災から間もない時のこと。作家の天童荒太氏(小説『悼む人』の著者)が震災から問われる問題について語られた言葉に出会った。

 「死者を忘れていく社会は、結局のところ、生者も忘れていく社会だ。死者を数字化して語ることに慣れ、その多い少ないが感心の中心となり、一人一人がかけがえのない顔をもつ、唯一の存在だと考えられなくなった社会は、生者も数字化して考え、十把ひとからげ、誰であっても取り替えのきく存在として扱う。」

 震災直後から現地担当者として救援・支援活動に携わってきた私は、被災の状況を報告する際に出来るだけ客観的に報告するよう心掛けてきた。死者(行方不明者)の数で被害の大きさ、悲惨さを語り、放射能被害に関しては「毎時○○μ㏜」など、それまで耳にしたことのない物質の数値で被害状況を伝えようともしてきた。現状報告とは、そもそもそういうものなのかもしれない。

 しかし、天童氏が指摘するように、死者や行方不明者を数字だけで捉えようとしたとき、そこに確かに生きていた人がいたということ、そして大切な人を失った方の悲しみがあるということまでは、なかなか思いが至らなくなる。放射能被害についても、数値による「安全・危険」という話は、実際にそこに生活する一人ひとりにとっては「安心・不安」の問題なのだ。そこに確かに人がいて、一人一人がかけがえのない顔をもつ、唯一の存在だと(だったと)いう、被災当事者そのものを蔑(ないがし)ろにしてしまっていた…と気付かされた。

 震災からまる4年、放射能被害の問題も含め、今後、更に様々な課題が突きつけられてくるであろう。けれども「そこに確かに人がいて、一人一人がかけがえのない顔をもつ、唯一の存在だと(だったと)いうことを心に刻む」ことが、その課題を克服していく道に繋がるように感じている。

 2015年3月11日…、被災地はあの日もそうだったように、春の雪に覆われた。願わくは、被災地の現実をも覆い隠してしまわぬよう…。

2015年を迎えるにあたって (2015年1月)

2015年を迎えるにあたって


 不思議なもので、年が変わると、前の年のことが全てリセット(消去)されるかのように感じてしまうのは私だけでしょうか。自身のこともそうですが、昨年の出来事が、新年を迎えることによって一つの区切りとなり、特に都合の悪いことは一日も早く忘れ去り、全てを一から始めるかのように…。

 年末のドタバタ衆院選は、安倍政権が進める経済政策が大きな焦点となったようですが、集団的自衛権行使容認、特定秘密保護法などの大事な問題も含んでいましたし、何よりも放射能被害を初めとする被災地復興の課題や原発再稼働、そして憲法改正という、未来への責任が問われた選挙だったと思います。
しかし、選挙が年末だったためか、既に何事も無かったかのように安部政権が進められて行く世間の空気にあらためて危機感を感じています。

 そんな中、年を越しても決して忘れてはいけない言葉に出会いました。それは、仙台出身の俳優、故菅原文太さんが沖縄県知事選の集会で語られたものでした。

 政治の役割にはふたつある。
 一つは、国民を飢えさせてはならない。
 もう一つ。これが一番大事…。
 絶対に戦争をしないこと。


 ある意味で…、世の中の大きな流れに対して、仁義無き戦いを挑まなければならない時なのかもしれません。

 2015年もよろしくお願い申しあげます。

未来への責任 (2014年12月)

未来への責任


 先日のノーベル物理学賞受賞の話題は様々な問題を抱える日本にとって、明るい話題としてメディアが挙って報じていました。我が家にも遅ればせながらLED電球が取り付けられ、「あっかる~い、これで当分は大丈夫ね」と微笑むつれあいの顔を見て、ふっと、数年前のシルバー川柳を思い出しました。

 LED 使い切るまで 無い寿命 (『シルバー川柳』78歳 男性)

 一般家庭では約8年から10年の寿命と言われているLED電球ですから、確かに78歳の方にとっては生きている保障はないと実感されたのでしょう。けれども、そもそも老いていようが若かろうが、いのちの保障などない…と教えられたのがお釈迦さまの縁起の道理…。「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」(蓮如上人『御文』)であります。しかしながら、頭では分かっていても、その人間の身の事実を受け止めきれずにいる私もおります。
「そのうち、そのうち」と目の前にある大切な問題を先送りしている私の在り方が問われているこの頃です。

(ここまで「東北別院だより」原稿の転載)


 さて、福島第1原発1号機で、原子炉建屋を丸ごと覆っているカバーの解体に向けた作業が始まりました(当初は2013年度中計画)。使用済み核燃料プール内に残された燃料や、原子炉格納容器に溶け落ちた燃料の取り出しへの第一歩としてメディアは期待を寄せる記事を書いております。

 しかしながら…、以下、共同通信の記事の抜粋です。

 第1原発3号機で昨年8月、大型がれきを撤去中に周囲の放射性物質濃度が上がり、作業員12人が被ばく。さらに数十キロ離れた水田のコメが汚染された可能性も指摘され、周辺住民や自治体から懸念の声が強まった。

 このため東電は1号機で、飛散防止剤の濃度を当初予定の10倍にして、散布する回数や面積を増やし、ちりやほこりを吸引しながら作業をするなど対策の強化を決めた。

 22日から25日まで、屋根に 直径約30センチ の穴を計48カ所開けて、クレーンでつるしたノズル付き装置で建屋内部に飛散防止剤をまいた。

 屋根に6枚あるパネルのうち2枚を1カ月間ほど外し、外の空気と触れる状態にして、周辺の放射性物質濃度に変化がないかを観測。問題がなければ来年3月から約1年かけて本格的に解体し、その後1年半でがれきを撤去する。

 1号機は放射線量が高く人が入れないため、作業は遠隔操作となる。
プールに392体ある使用済み燃料の取り出しは、17年度中の開始を目指している。格納容器に溶け落ちた燃料の取り出し開始は、早くて20年度前半の見込みだ。

(共同通信)


 6年後に作業が始められたとして、いったい、いつ終わるのか。少なくとも私の寿命をはるかに超えた問題が目の前にあることを、私自身どれだけ真摯に受け止めているだろうか。
そんな思いを持ちつつ、今年も仙台「光のページェント」を歩く私がいます。

真宗本廟「語りべ小屋」ご案内 (2014年11月)

真宗本廟「語りべ小屋」案内


 東北地方沿岸部では、いよいよ牡蠣の旬を迎えようとしています。各地の海岸沿いには「かき小屋(仮設の小屋やテント)」の看板が見られるようになり、観光客が牡蠣の味を楽しむだけでなく地元の方々とのコミュニケーションの場として開かれています。

 さて、その「かき小屋」から名前をいただいた、真宗本廟報恩講「語りべ小屋」を昨年に引き続き今年も開催いたします。東日本大震災から3年8ヵ月経ちましたが、被災地の「今」を岩手・宮城・福島の方から直接お話いただく場を開きます。
本山報恩講ご参詣の折には、是非ともお立ち寄りください。

 期   間:2014年 11月21日(金)~28日(金)
 時   間:日中、逮夜各法要終了後(1日2回、20分程度)
 場   所:真宗本廟境内白州テント
       ※被災地の復興支援グッズも販売しております。

追記
 「語りべ小屋」の案内文を書いていて思い出したことばがありました。
「哲学は、これまでしゃべりすぎてきた……。」
哲学・心理学を専門とされている、現大谷大学教授の鷲田清一氏が自らに問うている言葉です。鷲田氏は「世間に氾濫するいつわりのことばのなかに、哲学はまことのことば(ロゴス)を探求するのである」と捉えられているのに対し、「しかし、語ることがまことのことばを封じ込める、ということがないだろうか。まことのことばを知るためにこそ、わたしたちは語ること以上に、聴くことを学ばねばならないということはないだろうか」(『「聴く」ことの力』鷲田清一著より)と。

 この文章を読んで、あらためて自分を振り返ってみますと、私の周りにもことばが氾濫していることに気付きました。法話、講演、会議、会議、会議…、そして懇親会(私は、これがいちばん長い…笑)。自分の考えをことばとして表現しなければ対話は成り立たないものでしょう。

 けれども「語ることが逆に封じ込める」という場合があるようです。震災以降、「傾聴」という課題を考えてきたわたしにとって、何か大切な示唆をいただいたように思います。

ラジオ放送「東本願寺の時間」ご案内 (2014年10月)

ラジオ放送「東本願寺の時間」ご案内


 東日本大震災時、被災地では停電が続き、メディア情報源は自動車のワンセグか電池式ラジオという状況でした。

 実際にはガソリンが殆どありませんでしたので、多くの方はラジオに耳をかたむけ、余震情報、原発の事故状況など被災情報を得ていました。

 テレビ放送の多様化、インターネットの普及によってメディア媒体は大きく変化しましたが、震災によって「ラジオ」の価値があらためて見直されたようにも思います。

 さて、東本願寺では法話を収録した「東本願寺の時間」を各地のラジオ放送局より放送しておりますが、残念ながら仙台教区のエリアでは受信できる局はほとんどない状態が続いており、現在、スポンサーを募集している状況です。

 そこで、仙台教区HPでは、媒体は違いますが少しでも多くの方に「東本願寺の時間」にふれていただく機会をつくりたく、本山HPへのリンクを設定しております。
是非、お聞きください。

未来への責任 (2014年9月)

未来への責任


 HP開設にあたり

「命結−去・来・現のいのちを紡ぐ」

   あのとき失われた「いのち」がある
   あのときから3年経った今でも脅かされている「いのち」がある
   いま
   震災から『いのち』について考える
   失った悲しみと孤独のなかにひとがいる
   未来が見えない不安と怒りのなかにひとがいる
   だから
   失ったいのちからの呼びかけに耳を傾ける
   未来のいのちへとまなざしをむける
   それは心に刻むこと、それは心に刻まれること
   過去・未来・現在の「いのち」を紡ぐこと
   そのようないのちの表現の場を共につくりだすことを願います

(仙台教区主催「第2回 東日本大震災 心に刻むつどい メッセージ」より)


 このメッセージは、東日本大震災から3年を経て、私たちが辿り着いた言葉です。「命結−去・来・現のいのちを紡ぐ」という集いのテーマに、震災以降、届けていただいた、全国の皆さまからの支援への謝意、そして、未だ先の見えない状況にありつつも、そこから未来へと一歩を踏み出そうとする決意が込められています。

 このたび、仙台教区のホームページを開設することとなりました。集いのメッセージにもありますように、いのちを紡ぎ、いのちを表現する場になることを願っております。

仙台教区教化委員長 清谷真澄