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こちらのコーナーでは、ペンネーム「ふじい のぞみ」さんによるコラム『受け身の踏み込み』を掲載しています。日々の出来事が、どのように綴られていくのでしょうね。乞うご期待!


「夏休みの宿題






 小学生の夏休みの宿題といえば、作文が思い出される。私は子どものころから、文章を書くことが割と好きだった。夏休みの宿題として提出した作文は、ほぼ毎年学校の代表に選ばれて、市とか県のナンチャラ賞を頂いていた。


 私の作文には、秘密があった。学校に提出する前に、がっつり母の手が加わり、学校に提出した後は、がっつり担任の先生の手が加わった。もはや原型をとどめない、私のものではない私の作文が、入賞していたのだ。


 高学年になると、知恵がついた私は、最初から大人が喜びそうな作文を書くようになった。「わぁすごい!」「なぜ?」のような驚嘆の言葉を作文の書き始めに使うと、大人は『子どもらしい』と称賛することを経験上学んでいたから、わざと使っていた。子どもながらに、作為的に子どもらしい作文をこしらえていのだ。


 私はこのことに対して違和感をもったり、嫌だと思ったことはなかった。むしろ、大人が私の作文を読んで喜んでくれるから嬉しい、賞を貰えて嬉しいとさえ思っていた。


 なんのために、夏休みに作文の宿題が出されるのだろう?情操教育が目的なのだとは思うけれど、私の場合はそうはならなかった。


 でも、夏休みの作文のおかげで、人に読まれる文章を書くための戦略技術は身についたと思う。今その技術が、プレゼンテーションの場などで大いに役立っている。


 なにより私は、今も文章を書くことが好きだ。割とではなく、かなり好きだ。何がどう転ぶか分からないものだ。







     




     

「完敗






 夫は跡取り息子だ。今は夫婦2人で他県に住でいるため、帰省するのは年に3回程だが、帰るたびに痛感する。子どものいない夫婦が、田舎で生きることのしんどさを。


 それが当たり前の場所に居るのは、本当に肩身が狭い。以前、「何も悪いことをしていないのだから、堂々としていなさい。」と、母に言われたことがある。私は今も、堂々と居ることを自分に誓いながら帰省している。


 結婚して約15年、痛みに耐えること15年。私はオリジナルの『技』を生み出した。受身をとりつつ、積極的に仕掛けていく技である。子どものことをあれこれ言う人に対し「人生、思い通りにいきませんよねぇ~」と、返す技だ。寂しそうな笑顔を追加すると、効果テキメン!当たり前のように子どもを産んだ方でも、長い人生の中で、思い通りにいかなかったことが沢山あるのだ。そこにピンポイントに仕掛ける技である。先ずもって、思い通りの人生を生きてきた人なんて、いない。いよいよ私は、万人に効く技を生み出してしまった。


 先日、誓いを立てつつ帰省すると、高齢女性に「早く子ども作らんね。」と挨拶代わりに言われた。相手に悪気はないのだけれど、私は辛くて早々に技を使った。そして・・・私は敗れた。


 あまりにも衝撃的だったので、その時の様子を、プロレス風に実況しようと思う。


『ふじいのぞみ選手、「人生、思い通りにいきませんよねぇ~」との発言。必殺技を早々に仕掛けた!おや?どうやら相手選手には、効いてない模様。追い打ちをかけて絞り出した寂しそうな笑顔も、まったく効果なーし!

 おっと、ふじいのぞみ選手、ピンチだ!返し技をかけられた!

「何が思い通りにいきませんね、よ。努力が足りんのじゃない?」

 逆に強烈な技をかけられている!逃げられないこの状態、ダウンか?ダウンなのか?辛うじて寂しそうな笑顔を保っているが、心の中で号泣している!勝負あり!相手選手の圧勝だ!ふじいのぞみ選手の百戦錬磨の技、破れたりー!』


 長年かけて生み出した技が、あっけなく破られてしまった。やっぱり、人生思い通りにいかないものである(笑)







     




     

「春のお楽しみ






 冬の手前に母が送ってきてくれた球根が芽を出し、この春も花を咲かせた。赤と白のチューリップが咲いた。


 母がチューリップの球根を送ってくれるようになったのは、私が北陸に引っ越してからのこと。年中太陽の出る九州で生まれ育った私は、太陽があまり顔を出さない北陸の冬に、すっかり参っていた。


 そんなときに母が「春のお楽しみに!」と送ってくれたのが、始まりだった。毎回、何色のチューリップが咲くか分からない状態で、球根を植えるので、まさに春のお楽しみ。花が咲くと、写真を撮って「今回は〇色だったよ」と母にメールを送るのが、この季節の恒例になっている。


 実は、可愛らしさの代名詞のようなチューリップが、私はあまり好きではなかった。理由は、散り様。ポトンと花が落ちて終わる椿に対して、チューリップは、花びら一枚になるまで茎にしがみついて、なかなか終わらない。潔くないところが、好きではなかった。


 そんな私も心境の変化が・・・。チューリップという花に、母の愛情がプラスされたこともあるが、散りゆくチューリップも愛おしく感じるようになった。潔かろうが、潔くなかろうが、どっちも尊いと思うようになった。


 チューリップの終わり方を、椿のそれと比較することが、そもそも間違っていた。それぞれに命を輝かせているんだなぁと思うと、なにやら手を合わせたくなる。




 ありがたや、ありがたや。春が来た!ありがたや。




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「公衆トイレ





 よっぽどのことがない限り、壁の上や下に隙間のある個室トイレを私は使わない。というか、使えない。


 20年程前に駅のトイレで覗きに遭ったことがあって。それ以来、使えなくなってしまった。もちろん、緊急事態の時や、近くに他のトイレがないときは利用するけれど、自分が入ろうとしているトイレの左右の個室の状況をまずチェックしてから。待てる状況であれば、左右の個室から人が出てくるのを確認してから利用するようにしている。





 私が覗きに遭ったのは、とある駅の和式トイレだった。個室に入って便器に屈んだ瞬間、何かを感じた。なにげなく振り返ると、後ろの壁の上の隙間から顔を出して、こちらを覗いている男と目が合った。


 後ろの壁の向こう側は男子トイレになっており、男はすぐに男子トイレに隠れた。


 私は、恐怖で声もあげられず、無我夢中でトイレから逃げ出した。


 それから少し離れた場所で鳴りを潜め、男子トイレの出入り口から犯人が出てくるのを待った。程なくして、ひとりの男が周りを伺いながら出てきた。


 それは間違いなく、覗きの犯人だった。私は犯人を捕まえるでもなく、駅員さんに助けを求めるでもなく、犯人を凝視し、遠くなっていくその背をただ見送った。しかもあろうことか、覗きに遭ったことを、しばらくの間誰にも言わなかった。





 何度思い起こしてみても、あのときの自分の行動が理解できない。今なら駅員さんに訴えるなり、何らかの手立てを講じるだろうが、あのときは何も出来なかった。私の性格的なものなのか、被害者心理なのか、はたまた地域性や時代がそうさせたのか、されたことを訴えることが、あのときの私には出来なかった。


 覗きは、軽犯罪なのだそうだ。あれから20年経っても、壁に隙間のあるトイレを使うのが怖いと感じる私にとっては、けして軽いものではない。






     




     

「あのころの私へ





どうしても叶えたかったよね。


 肉体的にも精神的にも金銭的にも追いつめられながら病院に通い、いくつもの痛みに耐えつつ努力し続けてるよね。


 こっそり神様に縋ったりもしているけれど、その願いは叶わないんだ。残念ながら。


 アナタの顔を見るたびに、容易く叶えた人たちが善意に満ちた予言をしてくるよね。


 「子どもがいないと寂しい人生を送ることになるよ。」

 「子どもを産んでこそ、一人前。」

 「跡取りを産んでもらわないと (家業) 潰れるぞ。」


 その予言を聞かされるたび、密かに泣いているよね。いったいアナタは何回泣いたのかしら?何百回?何千回?何万回?




 はてさて、私はすっかり子どもを授かれない年齢になりました。人の為に生き、私は私を生きているよ。家業だって潰れてない。アナタの未来は、他人の予言通りになってないし、ましてやアナタの思い通りにもなっていない。


 でもね、アナタが思っていたより、アナタの今は面白いよ。


 すこぶる面白いよ。




     




     

「難題




 突然ですが、クイズです。

『お父さんと息子が交通事故に遭い、病院に運ばれてきました。

 お父さんは軽傷でしたが、息子は重傷だったため、緊急手術をすることになりました。

 手術を担当することになった名医が、男の子を見て「わたしの息子だ!」と言いました。

 医師は何故、そう言ったのでしょうか?』


 このクイズは以前、私が誰かに出題されたものです。


 出題者が誰だったか覚えていないのに、クイズのことを覚えているのは、答えを聞いたときに愕然としたから。


 もしかして、本当の息子と似ていただけの勘違い?いや、今の父親は母親の再婚相手で、この医師は血の繋がった父親?などと考えてみたものの、解けず仕舞い。


 クイズの答えを聞いて、ドキッとしました。答えは、「わたしの息子だ!」と言った医師は、男の子の『お母さん』だったから、です。私は無自覚に、医師が男性だと決めつけていました。




 医療関係のお仕事を長年勤めていらしたという女性に出遇いました。話し方も身のこなし方も慈愛に満ちていて、看護師さんってやっぱり凄いなぁと、彼女とお会いするたびに思いました。


 しばらく経ってから知ったのですが、彼女は元医師でした。私はまた、決めつけていたというわけです。




 認めるしかありません。


 私の奥底には、自覚なく蔓延る『偏見』が存在しています。出遇いによって明るみに出てくることもありますが、とてつもなく根深いです。これは難題です。




     




     

「密やかな意志





「ご主人は?」


 と、様々な場面で尋ねられることがあります。




 日常的に使い古された何気ない呼び方ではありますが、私は『主人』という言葉を一度も使ったことがありません。


 この言葉の意味について考えれば考えるほどザワザワするので、私はそれを使わないと決めています。


 誰かに力説しようなどとは思いませんが、その言葉を使わないのは、密やかな私の意志表示です。





     




     

「20年前の手紙




 保育園や幼稚園の先生を目指す学生さんたちが学んでいる大学で、保育について講演することになった。そこで、保育関係の仕事に初めて就いたときの気持ちを思い出そうと、当時の資料が入ったダンボールを引っ張り出してきた。約20年分のほこりが被ったダンボールの中から 卒園間近の子どもに貰った手紙を見つけた。たどたどしい文字が、ノートの切れ端に綴ってあった。


   ののちゃんへ
   ののちゃんもうすぐであえないね
   だけど げんきおだして
   そのあいだにいっぱいあそぼうね
   わたし ののちゃんがこころでまもっていましたよね
   わたし きこえました


 子どもたちは、私のことを『ののちゃん』と呼んでいた。そのことについて職員会議の議題に上ったこともあったけれど、結局子どもだけでなく、保護者にも先生達にも呼び名は浸透していった。


 手紙には「ののちゃんがこころでまもっていましたよね」と書いてあったけれど、私も子どもたちに守られていたなと思うし、子どもたちに育ててもらった、とも思う。保育の現場は一方通行ではなく、ともに育ちあう場なんだなぁと手紙を読み返しながら しみじみと思った。


 手紙の裏にはピンク色のペンで、こんなことも書いてあった。



   しずかにしているから
   かレしのなまえをおしえて
   なまえ(     )



     




     

「怪談




 これは、私がとある勉強会に参加したときに体験した出来事です。



 勉強会が始まるのを待っていると、後ろの席から女の人の声が聞こえてきました。

 「坊守さんは、お元気ですか?」



 すると、間髪入れずに男の人の声が・・・

 「お寺のことを全部やらせてるから こういうのに出て来れんのですわ。」





 あまりにも恐ろしくて、私は後ろを振り向くことができませんでした。

 身の毛がよだつ恐ろしいホントの話。





 嫌だなー。怖いなー。変だなー。


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「最近の出来事




 「せんせい、けっこんしよう!」そう言って3歳の女の子が抱きついてきた。

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 短期間でいいから働いてもらえないかと近所の幼稚園を紹介された。年度末に人手が足りなくて困っているというその園を見学して思うところもあったが、これも何かの縁だと思い立ち、引き受けることにした。そこで私はプロポーズされた。




 私は幼稚園嫌いな子どもだった。最初に通ったキリスト教の幼稚園も、次に通った仏教の幼稚園も大嫌いだった。どちらの園も忙しく、決まりごとが多かった。


 早生まれの私は園生活についていけず、給食の時間などは決まってビリで、毎回えずきながら食べていた。いつも先生に怒られていた。楽しかったこともあったに違いないが、思い出せない。そんな幼児期が影響したのか、私は大学で幼児教育を専攻し、卒業後は子どもに関わる仕事に就いた。子どもの育つ環境についての興味が尽きず、国内外の幼児教育施設の視察に出かけたりもした。





 シアトルに私の理想の幼稚園がある。自然豊かで室内環境も充実していて、子どもたちは登園してくると、目を輝かせながら個々に遊び始める。絵を描く子、本を読む子、ごっこ遊びをする子ども達もいれば、何日もかけて積み木で街を作っている子ども達もいて、いろんな種類の遊びが同じ空間の中で同時に展開していく。


 先生はそれぞれの子どもの関心興味を見極め、環境を整えていく。肌や目の色が違う赤ちゃんの人形などもあり、異なる人種や文化に触れる機会が目的をもって環境の中に準備されている。


 子どもたちも自由だが先生たちも自由、服装も髪型も実に個性的。私が尊敬するエマ先生はブラウスにロングスカートの出で立ちで、歌うように子どもらに語り、踊るように子どもから子どもへと移動する。


 オムツを替える姿さえ優雅な彼女は、「私たちは、子どもにとって親以外で長時間関わる初めての大人でしょ。憧れの存在でありたいわ。」と言う。人的環境としての自分をつねに意識している先生だった。



 年度末から年度始まりの2カ月間、近所の幼稚園で働いた。そこには、私のような子どもが何人もいた。


 プロポーズの子も居残り給食の常連だった。


 働いている期間中、何度もエマ先生のことを思い起こした。エマ先生の記憶が私を照らし、私を律してくれていたように思う。私が子どもたちの憧れの存在に成り得たかどうかは分からないけれど、あの子は「せんせい、けっこんしよう!」と言った。あの子に好きな先生ができてよかったなと思う。実りある2か月間だった。

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「違和感からの問い




 「おじゃまします」の言葉に違和感を覚えた。私が引っ掛かりを感じたのは、定期的に仮設住宅を訪ねている有志グループに誘われて、はじめて炊き出しに行った時のことだ。



 お坊さんや焼肉屋さんやフリーターや主婦や大学生など、多彩なメンバーと一緒に現地に向かった。到着すると、お坊さんが「おじゃまします」と言って頭を下げ、敷地の端の方に手慣れた様子でテントを張り始めた。


(ん???)


 私は違和感を覚えた。


 が、その理由を見つける間もなく、子どもたちが群がってきた。大人たちも家から出てきて、炊き出しの準備を手伝って下さったり、朝採ったホタテや今日のために仕入れておいた鯨の刺身を差し入れて下さったりした。新参者の私も、食べて飲んでお喋りして共に一夜過ごさせてもらった。



 我が家の冷蔵庫には、随分前から一枚のメモが貼ってある。



『思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。』



 マザーテレサだったか、ガンジーだったか、誰かが言った言葉のメモを見ながら ふと思う。お坊さんが言った「おじゃまします」の言葉は、『おじゃまします』の思考だったから出た無自覚の言葉だったのかもしれない。『来てやった』の思考からは、けして出てこない言葉だと思う。「おじゃまします」に違和感を覚えた私は、仮設住宅で無自覚に何を思い、何を考えていたのだろう・・・



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「芽吹きの頃に


 木々の枝先に春を探す頃になると、ある思い出が蘇る。


 もう随分前になるが、私は幼稚園に勤めていた。


 4月から小学生になる年長のクラスでは、この時期になると「ランドセル買ってもらった!」「もうすぐ机がくる!」「新しい靴買った!」と、熱気を帯びた子どもたちの声で溢れかえる。


 そんな中で、おさがりの机を貰ったと小声で報告してきた男の子がいた。「お母さんの使っていた机をもらえるなんて、すごくステキ!みんなにも教えていい?」と私が尋ねると、目を輝かせて嬉しそうに何度も頷いた。


 数日後、同じクラスの女の子が、おばあちゃんの家から古い机を貰ってきたと教えてくれた。聞けば、お母さんの使っていた机が欲しいと自分からお願いしたとの事。友だちの机の話を聞いて「ステキ!」と思ったのだそうだ。彼女はクスクス笑いながら「机にね、シールとか貼ってあったの。お母さんは知らなかったけど、私は知っているから貼らないよ。大事に使う。」と言った。


 6歳になったばかりの子どもが、自分の机を誰かにあげる日が来るかもしれないと考えていた。想定外の発言に驚かされたが、思わぬところで芽吹きを発見したような心持ちで嬉しくなった。


 もしかしたら今頃、彼女の机を次の小さい人が使っているかもしれない。


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私はインド


 インドから帰国する日、現地を案内してくれた友人が


「かみさまがブレッシングしてくれたから うまくいきました。わたしたちは、ブレッシングされています。」


と涙ながらに言った。


 ブレッシングとは神様の恩恵という意味で、彼女曰く、神様が恩恵を下さったから交通事故にあうこともなく、無事に過ごせたというのだ。私もそうだなと思い、感激して一緒に嬉し涙を流した。




 久しぶりのインドは、相変わらずだった。


 道路事情ひとつ挙げても インドは混沌という言葉がしっくりくる。平然と牛や豚や山羊が道路を塞ぐ。数年前に訪れたときは、道路を闊歩している象に出くわしたし、今回は野生の虎が出没する危険な峠を越えた。


 車の運転も凄まじい。


 友人が言っていたが、この国の人は、車を購入すると もれなく道路も自分のものになると思い込むらしい。冗談だろうが、交通ルールは有って無いようなものだから 否定はし難い。渋滞が至る所で起こり、クラクションが怒号のように鳴り響いているのがインドの常だ。




 日本に戻ってきてふと思う。ふと、考えてしまった。


もしも交通事故にあったとしたら…
もしも峠で虎に噛みつかれたとしたら…


それは、恩恵に恵まれなかったことになるのだろうか?




 釈然としない、あのとき無邪気に感激の涙まで流したというのに。クラクションが鳴り響く、私は相変わらず混沌としている。


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気づかぬうちに押し売りをしていました


 いつからだろう、カレンダーを買うようになったのは。



 年の瀬になると 頂きもののカレンダーの中から1年間壁に貼られるものが選ばれ、それ以外は遊び道具になった。棒状に丸めて折れるまで振り回したり、裏面が白いものには絵を描いたりした。そういえば、母は小さく切ってメモ帳にしていたっけ。



 かわいい子犬や世界の絶景写真が載ったカレンダーを使ったこともあったが、ここ数年は同じ出版社が出している日付と格言が書かれたシンプルなデザインのものを購入している。毎月カレンダーをめくるたび、そこに書いてある絶妙な格言に「よぉーし!」と力が湧く。私はいたく気に入っているこのカレンダーを 親しい友人にも毎年贈っていた。



 つい先日、その友人からメールが来た。

「今年はカレンダーを送らなくても大丈夫です。格言のように生きられなくて毎月落ち込んでしまうの。ありがとう。せっかくだったのに。ごめんね。」



 思いもよらない文面だった。もう何年も落ち込んでいる友人への愛情のつもりだった。元気づけたかった。何かしてあげたかった。自分が良いと思ったものだから きっと友人も気に入ってくれるはずだと思い込んでしまった。私は自分の行為に 少しの危惧も感じていなかった。むしろ、良いことをしていると密かに自負していたようにも思う。



 一度たりとも友人に要否を尋ねることなく、私は一方的にカレンダーを送り続け、友人は振り回すことも 描くことも メモ帳にすることもなく 押し付けられたカレンダーを壁に貼り、毎月眺めては落ち込んでいたのだ。



 しみじみと自分の浅はかさを恥じ入る、年の瀬である。





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「勝手な私」



 マンションの駐輪場で自転車を盗まれた。

 それからというもの、歩いていても車の運転をしていても やたらと自転車が気になる。もしかして私のじゃないかと思い、すれ違う自転車をつい目で追ってしまう。


 誰が盗んだ?


 気づけば、当てのない犯人捜しの妄想で時間を無駄にしている。


 あるとき、駐輪場でよく見かけていた中学生を疑っている自分に気づき、ドキッとした。いつも浮かない表情をしている少年のことは、前々から気になっていた。私から挨拶をしても 薄ら会釈返すだけ。声を聞いたこともなかったけれど、その姿を見かけるたびに「少年よ がんばれー!」と思っていた。


 思春期真っ只中でいろいろと悩んでいるに違いないと思い、勝手に応援した。そして今度は、何の証拠もないのに勝手に疑っているのだ。なんて勝手なのだろう、私は。




 程なくして自転車は見つかった。

 すれ違う自転車を目で追うことはなくなったが、なんだか気まずい。

 私は気まずさを勝手に抱えている。


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「また、種を蒔く」



 夏真っ盛りの頃、東北から九州に引っ越した。

 不本意とはいえ、ひとりの時間ができるのだから しばらくは読書をしたり、執筆したり、のんびり自宅で過ごそうと思っていた。



 しかし、部屋には前住人のニオイが微かに残っていて、なんとも居心地が悪い。外出しようにも暑過ぎるし、そもそも行く当てもない。



 唯一の行きつけは、近所の小さなスーパー。



 ある日、店の出入り口に見慣れない箱が置いてあった。「ご自由にどうぞ」と張り紙がしてあって、覗いてみると保存期間が過ぎて売り物にならない野菜の種が入っている。



 東北では畑を借りて野菜やハーブを育てていた。その畑で何度も育てたことがあるラディシュの種を貰うことに。ラディシュは二十日大根とも呼ばれ、その名の通り、短期間で収穫ができる。



 帰り際、「期限が切れているから芽が出ないかもしれませんよ」と店員から声をかけられたが、とにかく蒔いてみようと思い、足早に家に戻った。



 すぐさまホームセンターの場所をネットで調べる。急いで土とプランターを買いに行き、種を蒔いた。ついでに花壇も作った。


 その日から ベランダが私の居場所になった。



 1カ月過ぎた頃、ようやくラディシュを収穫。小さな実りをパートナーと分け合って食べた。



 15粒の種を蒔き、収穫できたのは2つだった。他人から見たら非効率な作業だと思われるだろう。でも、私には示唆に富む小さくて大きな収穫だった。期限切れの種が拠り所を与えてくれ、時間の経過を喜びとして見せてくれた。芽が出るか出ないかは、土に蒔いてみなければ分からない(やってみなきゃ分からない)ということも思い出させてくれた。





 カーディガンを羽織ってベランダに出る季節になった。



 もう、前住人のニオイは気にならない。


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