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こちらのコーナーでは、ペンネーム「ふじい のぞみ」さんによるコラム『受け身の踏み込み』を掲載しています。日々の出来事が、どのように綴られていくのでしょうか。乞うご期待!


私はインド


 インドから帰国する日、現地を案内してくれた友人が


「かみさまがブレッシングしてくれたから うまくいきました。わたしたちは、ブレッシングされています。」


と涙ながらに言った。


 ブレッシングとは神様の恩恵という意味で、彼女曰く、神様が恩恵を下さったから交通事故にあうこともなく、無事に過ごせたというのだ。私もそうだなと思い、感激して一緒に嬉し涙を流した。




 久しぶりのインドは、相変わらずだった。


 道路事情ひとつ挙げても インドは混沌という言葉がしっくりくる。平然と牛や豚や山羊が道路を塞ぐ。数年前に訪れたときは、道路を闊歩している象に出くわしたし、今回は野生の虎が出没する危険な峠を越えた。


 車の運転も凄まじい。


 友人が言っていたが、この国の人は、車を購入すると もれなく道路も自分のものになると思い込むらしい。冗談だろうが、交通ルールは有って無いようなものだから 否定はし難い。渋滞が至る所で起こり、クラクションが怒号のように鳴り響いているのがインドの常だ。




 日本に戻ってきてふと思う。ふと、考えてしまった。


もしも交通事故にあったとしたら…
もしも峠で虎に噛みつかれたとしたら…


それは、恩恵に恵まれなかったことになるのだろうか?




 釈然としない、あのとき無邪気に感激の涙まで流したというのに。クラクションが鳴り響く、私は相変わらず混沌としている。











     




     

気づかぬうちに押し売りをしていました


 いつからだろう、カレンダーを買うようになったのは。



 年の瀬になると 頂きもののカレンダーの中から1年間壁に貼られるものが選ばれ、それ以外は遊び道具になった。棒状に丸めて折れるまで振り回したり、裏面が白いものには絵を描いたりした。そういえば、母は小さく切ってメモ帳にしていたっけ。



 かわいい子犬や世界の絶景写真が載ったカレンダーを使ったこともあったが、ここ数年は同じ出版社が出している日付と格言が書かれたシンプルなデザインのものを購入している。毎月カレンダーをめくるたび、そこに書いてある絶妙な格言に「よぉーし!」と力が湧く。私はいたく気に入っているこのカレンダーを 親しい友人にも毎年贈っていた。



 つい先日、その友人からメールが来た。

「今年はカレンダーを送らなくても大丈夫です。格言のように生きられなくて毎月落ち込んでしまうの。ありがとう。せっかくだったのに。ごめんね。」



 思いもよらない文面だった。もう何年も落ち込んでいる友人への愛情のつもりだった。元気づけたかった。何かしてあげたかった。自分が良いと思ったものだから きっと友人も気に入ってくれるはずだと思い込んでしまった。私は自分の行為に 少しの危惧も感じていなかった。むしろ、良いことをしていると密かに自負していたようにも思う。



 一度たりとも友人に要否を尋ねることなく、私は一方的にカレンダーを送り続け、友人は振り回すことも 描くことも メモ帳にすることもなく 押し付けられたカレンダーを壁に貼り、毎月眺めては落ち込んでいたのだ。



 しみじみと自分の浅はかさを恥じ入る、年の瀬である。





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「勝手な私」



 マンションの駐輪場で自転車を盗まれた。

 それからというもの、歩いていても車の運転をしていても やたらと自転車が気になる。もしかして私のじゃないかと思い、すれ違う自転車をつい目で追ってしまう。


 誰が盗んだ?


 気づけば、当てのない犯人捜しの妄想で時間を無駄にしている。


 あるとき、駐輪場でよく見かけていた中学生を疑っている自分に気づき、ドキッとした。いつも浮かない表情をしている少年のことは、前々から気になっていた。私から挨拶をしても 薄ら会釈返すだけ。声を聞いたこともなかったけれど、その姿を見かけるたびに「少年よ がんばれー!」と思っていた。


 思春期真っ只中でいろいろと悩んでいるに違いないと思い、勝手に応援した。そして今度は、何の証拠もないのに勝手に疑っているのだ。なんて勝手なのだろう、私は。




 程なくして自転車は見つかった。

 すれ違う自転車を目で追うことはなくなったが、なんだか気まずい。

 私は気まずさを勝手に抱えている。


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「また、種を蒔く」



 夏真っ盛りの頃、東北から九州に引っ越した。

 不本意とはいえ、ひとりの時間ができるのだから しばらくは読書をしたり、執筆したり、のんびり自宅で過ごそうと思っていた。



 しかし、部屋には前住人のニオイが微かに残っていて、なんとも居心地が悪い。外出しようにも暑過ぎるし、そもそも行く当てもない。



 唯一の行きつけは、近所の小さなスーパー。



 ある日、店の出入り口に見慣れない箱が置いてあった。「ご自由にどうぞ」と張り紙がしてあって、覗いてみると保存期間が過ぎて売り物にならない野菜の種が入っている。



 東北では畑を借りて野菜やハーブを育てていた。その畑で何度も育てたことがあるラディシュの種を貰うことに。ラディシュは二十日大根とも呼ばれ、その名の通り、短期間で収穫ができる。



 帰り際、「期限が切れているから芽が出ないかもしれませんよ」と店員から声をかけられたが、とにかく蒔いてみようと思い、足早に家に戻った。



 すぐさまホームセンターの場所をネットで調べる。急いで土とプランターを買いに行き、種を蒔いた。ついでに花壇も作った。


 その日から ベランダが私の居場所になった。



 1カ月過ぎた頃、ようやくラディシュを収穫。小さな実りをパートナーと分け合って食べた。



 15粒の種を蒔き、収穫できたのは2つだった。他人から見たら非効率な作業だと思われるだろう。でも、私には示唆に富む小さくて大きな収穫だった。期限切れの種が拠り所を与えてくれ、時間の経過を喜びとして見せてくれた。芽が出るか出ないかは、土に蒔いてみなければ分からない(やってみなきゃ分からない)ということも思い出させてくれた。





 カーディガンを羽織ってベランダに出る季節になった。



 もう、前住人のニオイは気にならない。


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